昨日の自分から新たな自分に瞬時に変われるとしたら、あなたは変わりたいですか?
それとも現状維持したいですか?
10数年抱え込んでいた悩みが瞬時に変わったことが起きたのです
結婚して20年、子供3人と主人との5人暮らしプラス可愛いヨーキー。。
周りから見ると悩みのなさそうな一主婦です。
結婚後フランスパリに移住。出産とともに仕事も辞め、海外暮らしということもあり、
友達や家族とは会えないまま、子育てに、家事に忙しい母となり、
いつの間に1日が終わっていく、そんな暮らしをしていました。
ある時、近所のフランス人の友人から友達と一緒にうちへ行ってもいいかと聞かれ、
「じゃあ、主人に確認してみるね」、と返事。
尽かさず、友人から、「なんでご主人に聞かなきゃいけないの?私はあなたと話しているのよ」
と言われハッとしました。
振り返ると、フランスに来てから何一つ自分で決めて行動していないことに気づきました、
皿一枚買うにも….です青ざめました。
何故なら、結婚するまでの私は、自分がこれだと思う事は自分で決め、
行動し親に対しても相談はするものの、
自分で予め調べて決定事項を伝えるという性格だったからです。
渡仏して以来、様々なことがわからない私は、
決められたことを受け入れるという受け身の姿勢をとっていました。
結婚後3年のことでした。
自分のようで自分ではない状態が続きました。
でも子育ては待ってはくれません。
ただ毎日を過ごしていく日々が続きました。
それも怒涛の如く月日の流れるのは早かったです。
頑張って来られたのは単に子供たちの存在でした。
ベトナムに赴任
仕事の関係でベトナム行きが決まり家族で都越。
ちょうど3人目の子が生まれたばかりでした。
ベトナムに行っても、周りや、自分自身のことを気にする余裕はなく、
日々のやるべきことをする、そんな日が続きました。
徐々に生活にもなれ、子育ては忙しいままでしたが、
子供たちといる時以外に笑っていない自分に気づき、
自分のことも徐々に考えるようになりました。
夫婦関係についても考えました。
お互いに必要としていないのでは…
このまま生活を続けていいのだろうか、
自分で決めた結婚は間違いだと気づいても修正できないのか。
悶々としました。
別れたいと告げました。
仕事を持っていなかった私は、そう告げても自分を惨めにするだけでした。
自分の立ち位置が分かります。
自立出来ていないってこういうことなんだ。。
結婚して子供産んで仕事辞めてもお給料が貰えなかったら何も言えないのか、
周りからは、自分が決めた人なんだから、いつか変わる時が来るとか、、
子供が小さいから母親の責任として我慢するしかないのか。
自分の決めた人だから間違いだと気づいても、一生このまま続けるしかないのか。
いつか変わる時が来るのを待つ以外方法がないのか。
などなど
答えもわからないまま、時は流れていきました。
そんな時ソウルメイトとの出会いがありました。
ソウルメイトとの出会いに関しては下記ブログをご覧ください↓↓
偶然にも友人と主人が事業に投資したい。
スパマネージメントをしてみないかと誘われました。
子供達はまだ幼かったのですが、
とっさに「今だ!やってみよう!子供達に絶対に寂しい思いはさせない!」
と思いました。
そう一念を定め、そして今後のことも考え、スパ経営に携わりました。
そこからの10年は本当に毎日仕事、子育てに忙しすぎて何をしたのかも覚えてないほどです。
スパマネージメントを学ぶため、仕事をしながらマネージメントを学び、
エステの技術を学ぶためにインドネシアに幾度となく向かい、
エステのいろはを学びイギリスの国際ライセンスCI B T A Cを取得。
ベトナムにいることにより、不便はとにかくありました。
その中で信頼できる家事代行をする方に出会い、
私の留守中もご飯の支度や掃除、子供達のお迎えをしてくれる方に巡り会えました。
スパ経営当初には、社員育成やサービス改善に向けて休む暇はなく無我夢中で半年が過ぎました、
子供達の寝顔しか見ていませんでした。
ある時、学校での行事に参加し、
子供達がその行事に合う格好をしていなこことに気づきました。
すっかり準備をするのを忘れていたのです。
さすがにへこみました。なんて事をしてしまったのか!
子供達は何も言いませんでしたが、私は自分が許せず涙が止まりませんでした。
この日をきっかけに、
どんなに忙しくても、どんなに夜遅く帰ってきても子供達のことは完璧にやりこなそう!
と決めました。
その後も仕事は日々忙しい中、
完璧にやりこなそう!と寝る時間を割いてでも何とか全てやりこなしました。
スパ2店舗目をパートナーの意向でオープンし、仕事は更に増えました。
働いても働いてもやる事は減らず、仕事てもプライベートでも精神的に疲弊していました。
一方その甲斐があり、社員育成の成果が出てリーダーになる人材も出てきました。
そんなある日、大事故を起こしてしまい、生かされた自分を見て
自分の生活、人生を大きく見直すきっかけとなりました。
この事故を機に私の働き方を180度変え、
子供の用事があると時間通りに帰れるように、動けるようにしていきました。
事故に関しては、以下のブログをご覧ください。↓
再び転機が来ました。
ベトナムでは7年暮らし、その後再びフランスへ戻りました。
その時は、以前フランスに住んでいた時の何も決められない私はもういませんでした。
フランスでは遠隔でスパ経営を続け数ヶ月に一度ベトナムへ行く生活が開始。
フランスでは仕事をしたことがなかったので
経験のためにも日本語教師として学び仕事を持ちました。
二足の草鞋を履く生活が始まりました。
10数年抱え込んでいた悩みが瞬時に希望に変わった!
ふと感じたのです。感じたと言うよりは「わかった」との表現が正しいと思います。
今の生活は、私の求めている現実ではない。
精神的に我慢をしている私は本来の私ではない、
自分の欲しい現実を自分で得られると感じたのです。
この自分の中の発見は人生を左右する大きなものでした。
スピリチュアルライフコーチをきっかけに物事が変わっていくのです。
誰かではない本来の自分。
たとえ、別れても子供達にたくさんの愛を与えられる、
私は与え、与えられる愛が欲しい。
私は心から幸せを現実のものとしたい!!
と。この瞬間全ての観念が パッと切れました。
離婚はいけないこと、なんで?
離婚は子供が可哀想、 なんで?
離婚は周りにも悪影響、どうして?
私の人生であり、他人の人生の中に生きている訳ではない。
子供にとってこれが教訓となり学びになったら
可哀想と思うより逞しくなるのではないか、
子供にとって親は別れても親だ、
そして親である前に1人の人間であることを知るだろう。
周りがどう考えようと自分が決めて幸せなら、
後は周囲がどう考えても捉えても、自分がその評価を受け取らなきゃいいのだ。
主人に経済的に依存していた私。
だから、不安がないことは全くありません。
本当は不安だらけです。
でも心(魂)でわかってしまった以上。
このままの生活は続けられないと強く感じました。
その瞬間から心の底から湧き出る歓喜、
まだまだやれる!との思いや波動も鼓動を打つように上がった
ことも忘れられません。
暴力も振るわない、生活の心配もない、
家もあるそんな家庭にいるのに
別れてわざわざ苦労するなんて信じられない
と周りからは言われました。
それを聞いてまず思ったのは、普通はそうかんがえるんだ。
でも人の幸不幸はその本人しかわからない。
自分の様々な体験から中々殻から抜け出せない人に寄り添い、
勇気を提供できればと思っています
毎日充実しています。
不安もあります、でも歓喜の気持ちが勝って居るんです。
毎日笑えています。
心に耳を傾ける日々今後もお楽しみに。
スピリチュアルライフコーチとしても稼働中。