劣等感。。
そんな言葉を聞くと顔立ち、体型など外見的な事をパッと思いつく方もいるかもしれません。
今回は密かに眠っていた内面の劣等感について体験と共に話をしたいと思います。
私は、3人姉妹の真ん中でどちらかと言えば自由気ままに過ごしてきた気がします。
ただ幼い頃に母に言われたことがあります。
私の感受性は、ずば抜けて高く、人が何かをしてしまった時に、
悪いと感じていないのに謝ったりするのを見ると、ものすごく嫌がったとか、、
少し面倒な子供ですね。笑。
運動が好きで、小学生時代にはバスケットボール、
習いたての時にうまく出来ないのは当然ですが早く上達したいといつも体育館にいました。
バスケットに夢中すぎて、、、
母が夜中に部屋を覗くと寝ているにも関わらずスクッと立ち上がり
ドリブルをしていたという少し怖い秘話もあります。
中学時代はテニス三昧でした。
夏休みには1週間しか休みがなくても、雨でも、そして休みの日でも
壁当てなど苦とは一切感じず、ただ楽しくて仕方ありませんでした。
そんな中、私と真逆の姉は音楽に秀でていました。
小学生からは音楽隊の試験に合格して毎週色々な場所へ練習や演奏に飛び回っていました。
管楽器をしない私にとっては眩しいほど輝いている姉を尊敬していました。
音楽は素晴らしいな、でも私はスポーツが好きだし。
それに加え姉は運動をしないのに
何故か運動をする私に比べて身体が非常に柔らかい!
羨ましい限りでした。
そんな時、周囲に勧められ姉の所属する音楽隊の試験に挑戦しないかと声がかかりました。
「えっやりたくない」私の咄嗟の気持ちでした。
周りの期待に応えようと苦手な音符を覚えたりしました。
やりたくない気持ちが強い為、なかなか覚えられない。
更に試験の日はバスケットボールの試合と同日!!
私は当初2軍でしたが練習の成果が認められスタメンメンバーとして出場できました。
途中母が迎えに来たのを見ました。
今行きたくない!
そんな気持ちを持ちながら見て見ぬふりをしていましたが、
コーチから選手交代の合図がかかり、私はそのまま体育館を離れました。
試合を途中で離れ、連れられるままに試験に向かいました。
結果は
不合格
当然と言えば当然の結果だろう。
家族にはそんな顔を見せませんでしたが、でも不合格の通知は寂しく感じました、、、
試合まで中断して行ったのに、、
数日して知り合いがうちに集まった時に皆が私の音楽隊入りの成果を聞いてきました。
私は一言「落ちました、、」
父と母はつかさずこの子はスポーツの方が好きだからって言ってくれて有り難かった。
でも知り合いの中には「残念だったね、今度は受かるよ。お姉ちゃんみたいになれるよ」
って慰めるつもりで発した言葉なんだろう。
まだ大人になりきれていなかった私は、
「何でまたやらなきゃいけないの?受からないとダメなの?お姉ちゃんのようにならなきゃいけないの?」
ってすごく落ち込んだし、涙が溢れました。
この経験が私はいつも姉と比べられていると勝手に解釈するようになりました。
当時の私はそんなことさえも考えていなかったのに心の奥に残っていた為、
何か起きると、「比べられている、、」
私はもっと頑張らなきゃいけないんだと感じるようになりました。
私に根付いた劣等感の原点がここにあったことさえも忘れていました。
ただ頑張らなきゃっていう思いだけが突っ走っていました。
20代後半に出会いがあり、その人と結婚をしましたが、
事あるごとに再び蘇ってくるのです
「誰かと比べられている」と。。
それが拭いきれなかった。
何故なら私が聞くと、XXさんならこうしただろう、
君はxxさんではないから出来ないと言われ、
何故だかわからない失望感や悲しみが湧いてきました。
どんなに頑張ってもわかってもらえないし、
私がすることは意味のないことなのだろうか。
「私はどの道に進めばいいののだろう」
と内観した時に
ふと自分にはすごい劣等感があるのではないかと気づきました。
劣等感の正体がわかると変わリ始める!!
大抵は親から劣等感を植え付けられると聞いたことがありましが、
振り返っても親からの影響ではないとわかっていました。
その為、何が原因なのかわからないまま歳だけは過ぎていきました。
しかし、スピリチュアルライフコーチセッションを受けた時に、
原点があの時のあの場面であることに気づきました。
救われた想いでしたし涙が出ました。
振り返れば言った人は何の悪気のない言葉だったかもしれない、
逆に励ますつもりで言ってくれたのだろうと、今ではわかります。
でも当時の私はすごく傷つき胸の奥に刺さったまま、
何十年と共に歩んでいました。
だからなかなか取り払うことができず、ここまできてしまったのです。
原因がわかった時に、
ふと涙が溢れ同時に長年私の中にあった劣等感が何かという正体がわかり、
光を当てた途端に溶けていったのを感じました。
出来ない自分も私、
失敗する自分も私、
頑張っている自分も私。
自分をそのまま愛することができればいいのだとわかったのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。